富嶽三十六景②〜葛飾北斎〜
からの続き。
「尾州不二見原」。
「尾州不二見原。びしゅうふじみがはら」。
本図に描かれる不二見原は、現在の愛知県名古屋市中区の富士見原あるいは伏見町とされています。
「桶屋の富士」とも呼ばれ、桶作りの職人が、一心に大きな桶を作っています。
このサイズは丸桶風呂でしょうか?かなり立派なものですね。
このサイズ一人で作るの?!
という感じですが、腕の良い職人さんぽい。人物も桶も細かく描写されています。
丸桶でお風呂。。。檜とか。。。?
あー温泉行きたい。。。(逃避)
この製作途中の桶がつくる大きな丸の中の向こうに、水田が広がり、木立の上に小さな富士がちらっと見えます。
この大きな円の内側にとらえられた小さな三角、北斎が幾何学的構図の対比を好んでいたことを知る作品です。
シリーズ中傑作の一枚といわれているそうです。
学校の資料集とかでよく見たなぁ。
「甲州石班沢。」
「甲州石班沢・こうしゅうかじかざわ」
表題の「石班沢(かじかざわ)」と読むのは、カジカと「石斑魚(ウグイ)」を混同したための誤刻であると考えられています。
確かに似てる。
画面中央から上部にかけて水面を表わす横線はやがて霞となり、その中から裏富士の頂部が現れ、片側の稜線のみをなだらかに引いて姿をみせています。
線で静けさ。
対して下部、押し寄せる波が岩にぶつかり激しく泡立つ様子を点描風の波頭表現によって生き生きと描かれています。
点で動き。
北斎が得意の画面構成である富士の相似形は、網をうつ漁師を頂点として、左に魚籠をのぞく子供と岩、右にピンと張る数本の網と、前景の主たる景物を総動員して形成されています。
考えて描いてるの?
天才的感覚で描いてるの?
なんかもう凄すぎです。
子供の顔がわからなくてなんとなく怖い感じがするのは私だけでしょうか?
初摺は藍の濃淡だけで表現した大変色鮮やかな作品です。(1枚目)
後摺では色数が増えた多色摺で、雲間には橙色が引かれ朝靄から富士が姿を現す表現となっています。(2枚目)
だいぶ雰囲気変わりますね。私はどっちが好きかな~。悩む。
「 東海道吉田。」
「東海道吉田。とうかいどうよしだ。」
現在の愛知県豊橋市です。
「不二見茶屋」の室内から富士山を望む構図の作品です。
「富士山はあちらでーす。」
茶屋の女性がこの店の売り物である富士の眺望を、一休み中の女性客に説明しています。
わらじを直してる人いますね。自由な茶屋です。
店先の端に座っている男性は、腹掛けや傘に「永」「寿」の文字や山形に三つ巴の紋をつけて、この富嶽三十六景シリーズの版元である西村永寿堂の宣伝に一役かってます。
今で言う広告。
後期の浮世絵界は版元間の競争も激しく、こうした強引な宣伝の仕方もあえて常用したのでした。
軒にかかげられた「御茶つけ」の看板の下に、「根元吉田ほくち」の小看板もつけられていますが、これは、吉田の名物であった火口(火打石の火をうつしとるもの)を扱っているということです。
北斎の人物描写は本当に生き生きと描かれています。
「東海道金谷の不二。」
「東海道金谷ノ不二。とうかいどうかなやのふじ。」
金谷は、江戸を発って二十四番目の宿で、島田からは、街道一の難所大井川の急流を渡らなければなりませんでした。
その渡り方は、、、
川越え人足!
肩車してもらって渡る。
怖いっΣ(゚口゚;
以前何かのテレビ番組でどこかの国の人が、現在同じことをやっていてびっくりした記憶があったのですが、日本もしてた(^▽^;)
川越え人足は商売なので寒くても、風が強くても働かなければならなかったのです。
ただ水かさによっては渡れないこともありました。
「腰帯」(46文ぐらい)~「脇下」(100文ぐらい)まで。
それ以上になると川止め。
図では水かさが増して料金は「乳上」(70文ぐらい)。
身長の違いはどうしたんだろう。。。
流れも速く水量豊かな川波の描写を線や点描で描く。
この波の独特の表現は北斎ならではです。
駕籠や荷を運ぶ人足たち、肩車されている人々がつくる列、波の動きと交錯して動きのある画面になっています。
でも川を渡りきれば静かな富士がたたずんでいる。
うまいな~。
北斎の作品はどれもこれも生き生きと描かれ強さがあります。
しかも作品多い。描くことが人生の方だったんですね。