身近なものの美しさを極限まで表現した『動植綵絵』〜伊藤若冲〜
動植綵絵・どうしょくさいえ。
1757(宝暦7)〜1766(明治3)年頃に制作された伊藤若冲の代表作の一つ。
各141.8〜142.9cm×79.0〜79.8cm
30幅。三の丸尚蔵館蔵。
「芍薬群蝶図・しゃくやく・ぐんちょうず」
「雪中鴛鴦図・せっちゅう おしどりず」
「群鶏図・ぐんけいず」
こんな色彩豊かで繊細な作品が30幅もあるなんて圧巻です。
若旦那と言われた若冲 。
1716(正徳6)年、京都の錦小路で、野菜を商う青物問屋(代々のお金持ち)の長男として生まれました。
23歳で4代目伊藤源左衛門として家業を継ぐことになります。
若冲は勉強もダメ、字もヘタ、芸事もダメ、お酒も飲めない、女遊びもなし。この頃は絵も描いていない。
当時の若旦那と呼ばれる人たちとは真逆の若旦那でした。
若旦那会が嫌すぎて山奥に引きこもるという伝説もあり。
しかも2年。よっぽど嫌だったんですね〜。
逃げ道が人生の道へ。
20代後半ようやく趣味を見つける。それが絵を描くことでした。
狩野派に最初は教わり、中国画を1000枚模写。
自分の描きたいものはこんなもんじゃない!!
鶏を飼って観察する、観察する、観察する、かんさつする、カンサツスル、、、
「神気」見えた!! ホント?
この「神気」が見えるようになるとその生き物はどのようにでも描けるようになるし、他のものにも「神気」が見えるようになる、と。
なぜもっと早く絵を描いてなかったのかなと思ったら、この時代のお金持ちの長男が家業以外のことをするって周りの圧力もあるし、ものすごいパワーが必要だったんですね。
40歳で隠居。
3歳下の弟に家督を譲り、ようやく全身全霊をかけて作品を作り上げていきます。
それがこの動植綵絵。
10年かけて最高の材料を使い、すべての技術と根気を注いだ作品。
しかも売り絵ではなく寄進したもの。利益とかコストとか関係なし。
お金持ちだからできたと言ってしまえばそれまでだけど、お金があってもこの根気強さは半端じゃない。
今は宮内庁所轄。大切に保管されてるため200年以上前のものなのに色あせない。
「裏彩色(絵の裏側からも彩色する)」って技法も使ってます。
永代供養の33幅。
両親と弟、そして若冲自身の永大供養を願って相国寺に寄進されました。
1889年に窮乏したときに「動植綵絵(30幅)」と「釈迦三尊像(3幅)」は離れ離れになり相国寺を助けます。
2007年に120年ぶりに相国寺で再会しました。
次に一堂に会するのは100年後かも。。。
少しずつでいいので見せてください(涙)。
。。。と思ったら今年ちょうど若冲生誕300年で4月22日〜5月24日まで
東京都美術館で「若冲展」開催!!
いーきーたーいー!!!